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ラジオのある風景 - 玉音放送~終戦の思い出~

昭和20年8月15はとても暑かった...

「トンデモナイもう結構です...」 ピーピーガーガー

そのとき私は、農学校の2年生で農場で農作業をしていた

うるさくセミの鳴く暑い昼前 先生が「今日12時から重要放送があるので、15分前に寄宿舎に集合せよ」と連絡があった。

11時30分頃それぞれ皆集まり、30~40人集まると、ラジオの前に正座しろ言われ、その通りにして、待っている。すると12時の時報の後 天皇陛下の玉音放送が始まった。

朕はから始まったがラジオの型が大きいがピーピーガーガー雑音が入るし、暑いし腹が減ったのと、その上足が痛くて何の放送かわからずに終わった。

いつもの通り昼食を済まして、いつもの通りサイレンを合図の農場で作業をしていたが今日は何故か先生が来ない。1時間位してきて「おまえら元気出るな 日本が戦争に負けたんや無条件降伏や」と、その時のみんな顔、持っている道具を前へほかした。その時の皆の顔 顔 顔。

今でもはっきりとおもいだす。むなしい、いやな想い出。それから一時間くらい口々に勝手な話で、終いには汽車も来ないので線路歩いて帰らんなんと。そこへ先生が来て、「今日はこんな日になったのでカボチャでも炊いて食べるか」。農場から10個ほど採って塩茹でして食べた。そこへ農業科の人が豚汁が出来たから食べに来いと呼びに来てくれた。喜んで走って行きドンブリにはいった豚汁をすすった。この旨かったこと「たとえ」ようもない。
まだ欲しい者は残ってるからお代わりしても良いといってくれたので、釜のそばまでいってビックリした。なんと豚の頭がこちらを向いて細い目でにらんでいた。

トンデモナイもう結構です。  しかし旨かった

8月15日になると時々思い出す、70なかば老人の遠く暑い想い出話です。

(take)

玉音放送音声(mp3)

ラジオのある風景 - 玉音放送

「玉音放送」の予告

予告放送は、14日21時のニュースの時間に1回、15日午前7時21分のニュースの時間に2回行われた。

予告文

「謹んでお伝へ致します。
畏きあたりにおかれましては
この度 詔書を渙発あらせられます。

畏くも 天皇陛下におかれましては本日正午おん自ら御放送遊ばされます。
洵に恐れ多き極みでございます。
国民は一人残らず謹んで玉音を拝しますように

なほ昼間送電のない地方にも送電致します。
又官公署、事務所、工場、停車場、郵便局におきましては、手持ち受信機を出来るだけ活用して 国民もれなく厳粛なる態度で かしこき御言葉を拝し得ますよう 御手配願ひます。

尚 けふの新聞は 都合により 午後一時頃 配達されるところもあります。」

「玉音放送」の内容

8月15日正午の「玉音放送」は全37分30秒だったらしい。その内容は昭和天皇による「詔書」と、和田信賢アナウンサーによる「終戦関連ニュース」である。

■正午の時報

■「只今より重大なる放送があります。全国聴取者の皆様御起立願います」和田信賢アナウンサー

■「天皇陛下におかれましては、全国民に対し、畏くも御自ら大詔を宣らせ給う事になりました。これよりつつしみて玉音をお送り申します」下村情報局総裁

■君が代奏楽

■詔書(天皇陛下・録音盤再生)

■君が代奏楽

■「謹みて天皇陛下の玉音放送を終わります」下村情報局総裁

(以降、終戦関連ニュース、和田信賢アナウンサー)

■詔書の奉読

■内閣告諭

■これ以上国民の戦火に斃れるを見るに忍びず=平和再建に聖断降る=(終戦決定の御前会議の模様)

■交換外交文書の要旨(ポツダム宣言受諾に関する日本からの通告文、アメリカから日本に通達された通告文の要旨)

■一度はソ連を通じて戦争終結を考究=国体護持の一線を確保=(ポツダム宣言受諾に至った経緯)

■万世の為に太平を開く 総力を将来の建設に傾けん(天皇の大御心による御聖断)

■ポツダム宣言

■カイロ宣言

■共同宣言受諾=平和再建の大詔渙発=(終戦にのぞんでの国民の心構え)

■緊張の一週間(8月9日から14日までの重要会議の開催経過)

以上

この後、午後3時、午後5時、午後7時、午後9時にも、終戦関連ニュースの放送あり。

ラジオのある風景~終戦~玉音放送~

昭和三十年代生まれの私にとって太平洋戦争のことは、父母や年配者から「話」として聞くしかない。
昭和20年8月15日は、さぞ、暑くて辛い夏だったんだなあ、と想像するに余りある。

この時代は、テレビやインターネットも無く、ラジオは国民にとって、最も重要な生活の道具だったに違いない。そこでラジオオタクとしては、当時どんな性能のラジオだったのか?「ピーピーガーガー」って実際どんな音だったのか?感度はどうだったのか?に興味が向く...

知的電子実験にいろいろお便りをいただくが、この時代の、真空管ラジオ(受信機)をいじる方の情熱や思い入れを強く感じる今日この頃である。(kazu)

※「玉音放送」の予告、「玉音放送」の内容は、竹山昭子先生「戦争と放送」社会思想社1994年から引用させていただいた。webMaster

※音声ファイルの引用元はどこかのサイトです。失念しました。申し訳ありません。 webMaster

音声ファイルと参考図書の情報

太平洋戦争開戦の臨時ニュース-昭和16年12月8日午前7時~MP3音声 約2MB

玉音放送-昭和20年8月15日正午~MP3音声 約2MB

ラジオのある風景 - 玉音放送

玉音放送、戦争とラジオの関わりについて解説された良書を紹介します。私も読みました。
大正~昭和、そして戦争の時代に、主役だったラジオについて竹山先生が丁寧に解説されています。ラジオの史料として、また、ラジオが世の中の主役だった時代にフラッシュバックできます。ラジオオタク殿に最もお薦めです。良書です。

 

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